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byおじゃる姫
さすが、年齢が70代なだけあって、まだ体力があるんですよね。できれば、口から食事が出来るようになるまでには回復してほしいです。多分今の状態では、食事はまだ無理ですよね?食事の代わりに点滴しているんでしょうか?
リハビリ病棟に勤めてらっしゃるおじゃるさんのコメントはありがたいです。
なるほどそうですね。口から食事ができるところまでは回復してほしいですねぇ。
おっしゃるとおり、今は点滴です。めっちゃやせ細ってます。
鼻のチューブは多分酸素を流していたんでしょうね。
そうでしょうね。
酸素が取れて車椅子だから意識レベルⅠ-2までには回復している感じかな?NSステーションで見守りなので、転倒リスクもかなり高くなっているようですね。認知機能低下と失語症が入っているようですが、脳メタが小さくなれば、意識レベルもクリアになってくると思います。
ふむー。しかし今回のこの病気に関しては、主治医も「原因がよくわからない」とのことで、その脳メタとやらが、今後より小さくなっていくのかどうかははっきりしません。
「脳 がん」で検索すると、脳腫瘍がいっぱいでてくるんですが、脳腫瘍ではないようです。
なんか、水が溜まってるという話も聞きました。
『しゃべるリハビリ』は必要ですよ。なるべく会話を多く持ち、口を動かすことで、嚥下機能も上がる。あと、舌の動き。うちの病院では『ラパカタ』と発声練習をしています。舌と上下口蓋の運動なんで、次回お見舞いのときにでも、お義父さんに大きな声で発声練習してもらってください。口の機能はあなどれません。誤嚥性肺炎と廃用症候群予防なので、是非、『しゃべるリハビリ』はガンガンやってもらいましょう。
専門用語満載でよくわかりませんがw、とにかくしゃべるリハビリは大事だということですね。
本人にしゃべる気があるのならいいんですが、しゃべるリハビリ、上手く行ってるんだろうか?
次回お見舞いっていつになるんだろ?明後日は総会だから、もしかしたら明日かな?
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日曜日に、家族でお見舞いに行ってきました。
前見たときみたいに悲惨な状況ではなく、鼻チューブも取れ、それよりも何よりも、顔がまともなときの表情に戻ってきている!!!
しゃべったり自由に動いたりはまだできないけども。
前回長男をはじめとし、みんなが泣きじゃくった状況からは打って変わってほがらかなお見舞いになりました。
お義父さんが大好きな、うちの長女の奇跡的爆笑写真を手に渡すと、ちゃんと持って、じっと見つめていました。
ベッドも、ちょっと起き上がらせてもらってました。
火曜には、嫁が行ったら、なんと車椅子でナースステーションに入れられていたそうですw
なんでかっていうと、立ち上がろうとするから。危ないから。義母は久しぶりに実家に帰っていたそうです。
昨日は、僕は体調悪かったし、もし風邪だったりしたら移したら最悪だから見舞いには行かなかったんですが、子供が学校から帰って来るやいなやみんなでお見舞いに行きました。
帰ってから長男に、
ぼく「おじいちゃんどうやったー?元気やったー?」
と聞くと
長男「うん、元気やったでー」
ぼく「○○(名前)のこと、わかってたかー?」
長男「うん、わかってはった」
嫁「ほんまに?わかったはった?」
嫁の話では、よく見舞いにくる義母や嫁では、ほとんどもう反応しなくなったそうです。
聞きつけて遠くから駆けつけてくれた親戚なんかがくると、
義父「おう」
と小さな声を出して反応するらしいです。
いやあ、最初みたときは、生死の狭間かと思ったんですが、回復するもんですねー
医療技術って発達してんすねー
これから、「しゃべるリハビリ」をするらしいんだけど、実際どうやんだろ?
昨日は、一言だけ
義父「痛い」
と発したようですが。
どこまでしゃべれるようになるのか。
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byそらな
お義父様の件、他人事では無い年齢になったなぁなどと考えていたら、私の方は昨日、母方の祖母が脳梗塞で倒れました。
数時間前に病院には行きましたが、もう意識は無く、長くても一週間ほどらしいです。
延命措置はしない方向で決まったようですが、実際に祖母を見ると、ただ寝ているだけのような感じです。
すいません、ちょっとよくわかんないですけど、お互い健康には気をつけましょう。
ちょっとよくわかんない中、コメントありがとうございます。
脳梗塞とのこと、お気の毒に。
うちも、延命処置はしない方針です。
ただ、放射線治療を行う可能性があるようです。
うまくいけば、寿命は延びるけども、確実に後遺症が残る、そんな風に医者が言ってたらしいです。
義母は車の運転で高速道路が怖くて乗れないんですが、今回の入院にあたって、義父が自ら高速道路を運転してきたそうです。なんとおそろしや。途中、ラジオをがちゃがちゃいじって、周波数が出るじゃないですか。
それを見て、
義父「電話かけてるんや」
義母「なに?どこに電話かけてる?」
義父「いや、電話かけてる」
義母「はぁ?」
とかいうやりとりがあったとか。義母は機械オンチでもあるので、もしかしたら車のラジオから電話がかけれるのかもしれないと思ったそうですが、後で考えてどう考えてもおかしかったなと気づいたそうです。
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by三毛ニャン
父に見舞いに言ったのは、まだ父の意識がはっきりしているときと、もう意識がない時でした。
僕が義父とちゃんと会話をしたのは、1月の20日前後に、うちにすき焼きをしに来てくれたときでした。
実は、そのときから、いつもよりちょっと無口だなとは思ってたんですが。
今までなら、すき焼きなら
義父「いい肉いっぱい食うたら後でえろうなるから、5枚までにしとけ」
(えろうなる・・・方言で、しんどくなるの意)
とか言うんですが、その日は言わなかったので肉いっぱい食べれたのでした。
父が目で「あんた、大丈夫なんか」と言っているのが、はっきりわかりました。
父は1年くらい前から、耳が聞こえなくなっていました。 おおきなスケッチブックを買ってきて、孫たちの近況を知らせてあげればよかった(子どもたちはハラバラに見まいに行ってました)
耳が聞こえないのつらいですね。
義父は、いったいどこまで耳が聞こえてるんだろう?
なんか声に対して反応してる気はするけど、解釈してるんだろうか?
うちの場合、スケッチブック作戦は無理ですね。たぶん見てくれない。
父は点滴のチューブなどを外さないよう、ミトンのようなものを、手にはめられていました。
点滴のチューブがまたあれ、痛々しいんですよね。
読めるような字が書けたとは思えないけど、父に最後の一言をかかせてあげたかった。
きっと、自分のことはかかずに、姉私や孫の幸せを祈っただろうと思う。 ほんとにやさしい父でした。
うん、いいお父さんでよかったですね。
お孫さんたちも何度もお見舞いに行ってたようで、幸せな亡くなり方だったかもしれませんね。
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byおじゃる姫
呼びかけに対して覚醒、開眼するからまだ意識はあるようですね。でも、お義父様、痛みがそれほどないみたいだから、それだけでも良いと思って、癌の末期で痛みでのたうちまわる患者さんはたくさんいますから、それがないのが救いですね。
うん。痛みは見たところ別にどこもないみたいでした。鼻のチューブをときどき外そうとして、
「それはあかんあかん」
ってみんなで止めたり。
でも、お義父様を見ている家族にとってはすごくショックでしょうね。お気持ち察します。
聞くと見るのでは大違い。ほんと百聞は一見にしかずですね。
意識ほとんどないとは聞いてたけども、みたらウワッっとこみあげるものがあって、泣けてきましたもん。
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昨日、子供たち連れて会いにいってきました。
言葉を発することができないとは嫁から聞いてましたが、実際会うと、想像を超えた病状でした。
目がある程度の角度の範囲で、なんとか動く。
手も、たまーに動かす。
足も、たまーに動かす。
以外は、植物人間状態です。。。
義母「聞こえてるから話しかけてあげいーや」
長男が、もうその惨状見た瞬間から号泣。
長男が義父の手を握って、、、でも泣いて泣いて、言葉がでない。
そんな僕も号泣。義父の姿も泣けるし、長男を見てるともらい泣きでもっと泣けてくる。
ぼく「○○(長男)、サッカー頑張ってるで!リフティング60回もできるようになったんやで!」
って、途中で泣けてきて最後までちゃんと言えない。
ずっと泣いてた長男も、30分くらい泣いたらちょっと落ち着いてきて、
長男「おじいちゃん、ぼくな、サッカー頑張ってるで!お勉強も頑張ってるで。今、学校で版画彫ってんねん。市川海老蔵、歌舞伎の人、おじいちゃん知ってるやろ?」
そんなん聞いたら僕大号泣ですよ。鼻水がでてとまらない。
ぼく「○○(長女)もなんか言い」
だけど、長女はどうしていいのかわからず、何も言えません。
ただ、泣いてました。鼻水ダーダーでした。(みんなマスクしてるけど)
嫁は、その惨状を見たのがもうこれで4回目くらいなので慣れてて、そんなに泣きませんでしたが、最初見て何日かは、パート行く車の中で泣きながら運転してたそうです。
みんな泣きつかれ、お腹が減り、1Fの売店(ローソンになった。病院の中にローソンがあるとは!)でなんか買ってくると。
嫁と僕と義父の三人になったので、僕が手を握って話しかけてたんですが、なんか、僕の手を、嫁の手にくっつけようとするんです。何度やってもそうする。仲良くしろってこと?
嫁「仲良くしろってこと?そやな、仲良くしなあかんな!」
もちろん晩御飯の用意なんてないので外食です。スシロー(回転寿司)行くことにしました。
もうみんな完全に復活して、泣き止んでました。
嫁「でも寝る前とかに思い出してまた泣けてくんねんで」
って言ってたけどほんまだったw
長男の泣いてる姿思い出したり、義父と出会った頃のことを思い出したり・・・寝床で1時間くらい泣いてました。
眠剤のおかげか、いつのまにか眠れたけど。
って、この記事書きながらも、また思い出して涙がほろりと・・
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bymiffy
御父様、若いのに・・・。
60ちょいだと思ってたけど、嫁に確認したら67でした。
嫁は一番上の子ですが、義父が30くらいのときの子になります。
ぼく「意外と遅いな」
嫁「その前に二人流産しとかはるもん」
だって。初耳なような、聞いたことあるような。
どんな場所でも「ガン」っていうのは衝撃受けますよね。
私の母も数年前乳ガンをやりまして、
今は元気ですが、「母がこの世から消えたら・・・」なんて、
真っ暗になったのを覚えています。
お母さん、元気になってよかったですね。
こっちは今からが正念場です。。
僕自身には精神的ダメージはそれほど大きくないにしろ、嫁にとっては実父なので、精神的ダメージめちゃでかいはずです。
支えるのも大変だとは思いますが、
奥様共々、ご無理なさらぬよう
御父様の力になってあげてください。
今日、意識のあるうちに子供達に会わせておこうということで、子供達学校から帰ってきたら、みんなで病院行きます。(僕は会社休んでいます)
なんか義父、赤ちゃん返りしたみたいで、自分の手が動くのが不思議で、紙とか渡すと一生懸命飛行機らしきものを折ろうとするらしいです。
嫁曰く「おじいちゃん、かわいいでー!赤ちゃんみたい!」
って笑ってましたが、心の中では泣いてんすかね・・・
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byおじゃる姫
抗がん剤で脳メタも小さくなれば意識も改善するかと思われますが、急変する可能性は充分予測されるので、それはもう専念してください。
はい。助言、ありがとうございます。
ところで、脳メタって言葉初耳だったのでググって調べたら、
OKウェブに、
http://okwave.jp/qa/q7077029.html
メタってのは転移metastasisのことだと思うので、脳メタは癌が脳に転移して余命いくばくもない状況、ですかね。
余命いくばくもない、か・・・
観念しないとな・・・
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